国民同胞巻頭言

第683号

執筆者 題名
合宿教室(西日本)運営委員長
廣木 寧
現代をより善く生きるために
- 「人は後ろ向きに未来に入って行く」 -
  合宿教室(西日本)のあらまし
合宿教室(西日本)走り書きの感想文から(抄)(かな遣ひママ)
合宿教室(西日本)詠草抄
大貫 大樹 春季研修会の学生発表から
学問の継承とその体認
- 「私にとっての生きる糧」 -

   

 第63回全国学生青年合宿教室(西日本)が、8月24日から26日までの2泊3日の日程で福岡県篠栗(ささぐり)町の福岡県立社会教育総合センターで開催された。

 学生、社会人53名が集ひ、講義と班別研修、短歌創作と短歌全体批評および班別相互批評に集注して取り組んだ。福岡から初めて合宿教室に参加した年配の方は、ぎっしり詰まった日程に、かういふ研修は初めてです、と愕きと充実感をないまぜにした感想を語った。

   

 現今の世界は、現在の快適さを何にもまして求めてゐるやうである。それは自分の人生のみの快適を求めてゐることに通じる。自己の現在と何十年間かの未来のみが大切なのである。さういふ人生をより善く生きるのに、過去は何ら関与しないのであらうか。

 芸評論家の村松剛はフランスの哲学思想の研究者としても著名だが、人の過去現在未来の実相を表すものとしてフランスの詩人ポール・ヴァレリーの言葉を引いたことがある。その言葉とは「人は後ろ向きに未来に入って行く」といふものである。未来をいかに思ひ描いても、それは現在の諸条件のもとに描かれた想像上の計画書なのであって、現実の計画書ではないのである。だが、わたしたちは自ら描いた想像上の計画書を実際あらしめんと努力するのである。

 では、その想像上の計画書は何をたよりに描かれたか。それは過去をながめて、或はよく味はって描かれた。過去はどこにあるのか。それはわたしたちの記憶の中にある。また記紀万葉、源氏物語、平家物語、鷗外漱石といった文献の中にある。さうであるから、ヴァレリーは、人は後ろ向きに未来に入って行くと語ったのである。後ろ向きとは過去を見つめながらといふことである。

 だが、現代の思潮は過去といふ歴史を軽視する嫌ひがある。昨年のノーベル文学賞受賞者のカズオ・イシグロ氏は、『忘れられた巨人』刊行(2010年)後に、あるインタヴューの中で、同書は、人々が記憶をなくしてゐる物語であると述べ、現代においてたくさんの国家や民族がさういふ状態にあると語ってゐる。この記憶の喪失は戦争に勝った者が不都合な立場を記憶の底に埋めて平和を維持したいといふ政治的判断から起こってゐると述べてゐる。

   

 わたしどもの合宿教室はこの現代の思潮への挑戦でもある(次頁以下の「合宿教室のあらまし」をご覧いただきたい)。過去は過ぎ去って還って来ないのだが、どの過去も現在であったことがあったわけだ。歴史上の人物が吐いた言葉はそのときの現在との戦ひの中で生れた言葉なのである。その過去に吐かれた言葉を味はひ、心が動くならば、わたしたちは過去を生きたことになるわけだし、過去が現在に蘇ったことにもなる。鷗外漱石までは、歴史とはさういふものであった。それは学問がさういふものであったからだ。

 ところが、昭和20年の敗戦後、学問に感動は不要である、主観的であってはならぬ、常に客観的でなくてはならぬといふ思潮が主流となった。学界は過去への共感は殺しながら現在への政治的策謀をもった学者が多勢となり、現今日本の小中高の先生たちはその多勢の学者の教へ子なのだから、現今の小中高及び大学生はその孫弟子となる。わたしたちの現代の思潮への挑戦とは、またかういふ現実との戦ひでもある。

 小林秀雄は腕をつねって覚える痛さは主観的でも客観的でもないと言った。昭和17年比叡の山王権現に詣でた小林は青葉やら石垣やらを眺めてゐたとき、以前に読んだ鎌倉時代の『一言芳談抄』の中の文が突如浮かんで、異様な感動を覚えた。その時の感動を小林は書いてゐる。「僕は、たゞある充ち足りた時間があつた事を思ひ出してゐるだけだ。自分が生きてゐる証拠だけが充満し、その一つ一つがはつきりとわかつてゐる様な時間が。無論、今はうまく思ひ出してゐるわけではないのだが、あの時は、実に巧みに思ひ出してゐたのではなかつたか。何を。鎌倉時代をか。さうかも知れぬ。そんな気もする。」――この小林の感動も主観的でも客観的でもない。日本の学問を取り戻さなくてはならない。

((株)寺子屋モデル)

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開会式(第一日目)

 合宿教室(西日本)は福岡大学経済学部二年笠原康嗣君の開会宣言で幕を開けた。

 主催者代表挨拶で今林賢郁国文研理事長は、「古典を繙(ひもと)くと私たちの先人がどのやうなことに生きがひを覚えて、どんな事柄に価値を見出してきたのかといふことが分る。〝日本〟の思想に触れることになる。古典の言葉や先人の生き方には、日本人らしい日本人になるためには、どのやうなことを心がければ良いのかといふことが示されてゐる。この合宿で先人の言葉に触れることによって、今後の生き方を考へる契機として欲しい。大いに学び、かつ楽しい三日間にしてもらひたい」と述べた。

 次いで、来賓の福岡県議会議員古川忠先生からは、「読書が人生を豊かにし、書くことで確実な人生を歩むことができる。友と本当に腹を割って話をすれば、そこに新しい信頼が生れる。そのやうな勉強をこの合宿を通してやっていただきたい」との激励の御挨拶をいただいた。

合宿導入講義
 「自分を知りたいあなたへ ―歴史が教へてくれるもの―」
     福岡県立筑紫中央高等学校教諭 與島誠央氏

 教師初任の頃、生徒の発した「先生、こんな昔のことを勉強して何の役に立つん?(何の役に立つのか)」といふ問ひに出会ったことがある。この質問は教師生活30年間、折々に脳裡に浮んで来た、今日はこの質問への答へのつもりで語りたい。

 先の大戦で満洲に出征した父は南京で敗戦を迎へた。その際、部隊は自決を決めてゐたが、その部隊を前にして、隊長は「この部隊の敗戦の責任は自分が取る。諸君は祖国に帰れ。どうしても死ぬといふのなら先祖の墓の前で死ね」と言って、自らはピストルで自決した。父達は死ぬに死ねずに、復員して、その後、父は母と結婚。私達兄弟が生れた。歴史は命のつながりであって、自分を知りたいのなら歴史に学ばなければならない。

 歴史に学ぶには、遺された「言葉」に迫ることである。吉田松陰の『講孟餘話』に触れながら、歴史を学ぶ意義について語りたい。

 (この後『講孟餘話』についての学生時代からの読書体験を踏まへて、松陰の生涯と思想をたどりつつ歴史に学ぶ意味合ひが述べられた)。

講義(第二日目)
 「人はいつも過去に励まされてゐる  ―“記憶”があるから生きていける―」
     (株)寺子屋モデル 廣木 寧氏

 昨年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏は、五歳で英国に渡り24歳の時に作家を志して、短篇小説をいくつか書き上げたが、満足ができない。その時に突如、同氏に蘇ったのは一度も帰国したことがない〝日本〟の記憶であったといふ。このやうに、過去は記憶として現在の私たちを励まし、未来を嘱望させるのだ。

 洋学の重要性を知ってゐたから福澤諭吉は、杉田玄白(文化14年、1817年歿)の『蘭学事始』を初めて刊行した。この書物はは近代日本の出発が明治のずっと前から胎動してゐたことを示すもので、そこには洋学受容の苦闘のさまが記されてゐる。諭吉の『瘠我慢(やせ が まん)の説』は、幕府の要職にあった勝海舟が官軍と戦はずして江戸城を開城したこと、明治新政府の高官に上ったことへの疑念を問ふもので、波紋を呼んだ。諭吉の疑念には賛否の声が起ったが、人の誤った記憶も明らかになった。文筆に生きた諭吉の仕事は世人の認識の誤りを正すことにあった。誤ったことが世に流布することを質(ただ)すことにあった。

 イシグロ氏の作品の中に「過去を語り合うことに意味が見出されない」といふ一文がある。それは「人が記憶をなくしている」、あるいは忘れさせられてゐることから生じてゐる。だからこそ、今日は過去をかたる喜び、そして過去を記憶しておくといふ使命があるのである。

短歌創作導入講義
     税理士法人あおぞら 北村公一氏

 短歌を詠むことは「心情、感情の洗練」、言ひ換へれば心を磨くことである。自分の心を見つめ、それにふさはしい正確で適切な言葉を探すことが心を磨くことにつながる。それは昔から先人たちが実践してきた「しきしまの道」を私たちも踏み行ふことでもある。

 本会の大先輩に廣瀬誠先生といふ方がをられる(平成17年歿)。少年時代から万葉集に親しまれた廣瀬先生は、富山県立図書館に勤務されてゐて、昭和51年には皇太子同妃両殿下の御前で立山(たてやま)の歴史をご説明申し上げる栄誉に浴されてゐる方だが、その後舌癌に罹られる。その闘病中の詠草集『坂の沼琴』には、「天地のまにまにわれはわが生を生きむとぞ思ふ力のかぎり」といふ闘病へのご決意のお歌をはじめ、手術後はリハビリの中で万葉集を誦み上げられるが、「万葉歌力の限り誦みゆけどふしぶし声はとぎれて続かず」「とぎれつつわれは誦みゆく声かぎりわれは誦みゆく万葉の歌」等々と苦しい闘病生活の様子をそのまま詠まれたお歌が収められてゐる。

 このやうに短歌は手慰みものではなく、自らの心を見つめるところから詠まれるものである。次のレクレーションでは見たまま感じたままを飾ることなく詠んで欲しい。

レクレーション(短歌創作)

 短歌創作を兼ねたレクレーションの最初の見学地は、飯塚市の旧伊藤伝右衛門邸であった。明治から昭和にかけて殖産興業の礎となった石炭。その産出地として栄えた筑豊で炭鉱王と呼ばれた人物の邸宅である。地元のボランティアの方々の説明を聴きつつ、大正初期に建てられた和風ながらも一部に洋室も取り入れた和洋折衷の広い屋敷を巡った。室内から見た庭園の美しさは、しばし暑さを忘れさせてくれるほどだった。

 次に篠栗町に戻って南蔵院を訪ねた。篠栗の地は、四国霊場に修行した僧がこの地の疫病退散の祈祷を行って以来、霊場となった所である。近年、ブロンズ製の巨大な釈迦涅槃像が開眼され、この地のシンボルとなってゐる。初めて訪れた我々は、像の巨大さと不思議な明るい印象に驚きながら、楽しいひと時を過した。

古典講義
 「改革者の使命―芭蕉と子規―」
     国民文化研究会参与 折田豊生氏

 俳句は、短歌とともに民族の貴重な文化遺産であり、俳句を学ぶことは短歌を学ぶ上でも極めて有益である。和歌、連歌、俳諧連歌、発句、俳句の歴史を踏まへて、松尾芭蕉と正岡子規それぞれの改革の取組みを考へてみたい。

 風雅の道を求めるには和歌が断然有利であるにも拘らず、なぜ芭蕉は俳諧連歌を選んだのか、また正岡子規の俳句・短歌革新は、西欧化一辺倒の時代だったが、なぜ伝統文化の再構築を課題としたのか。

 芭蕉は、禅や老荘思想を学び、実人生を肯定しながら自然に随順して生きるなかで、「座の文芸」である俳諧連歌(連句)を通して多くの門人達と交流し、「精神の態度」を重視する蕉風と呼ばれる独特の俳諧を確立した。それはまさに、聖徳太子の「世俗の中の出家」に通底するものであったと言へよう。また、子規は、西欧文化が激しく流入してくるなかで、惰眠を貪るがごとき宗匠俳諧と古今和歌集を崇拝し旧態然として省みない流派歌壇に対し、その低俗の惰性を覚醒せしめるべく果敢に闘ひを挑んだ。それは、一方で病魔とも闘はなければならなかった青年の、不撓不屈の信念による決死の事業だった。子規は、高浜虚子をはじめ多くの門人を得たが、終始孤高の道を自ら歩むこととなった。

 芭蕉と子規は、共に高い理想を抱き、無欲で権威に盲従せず、絶命の間際まで細き一筋の「ミチ」を追求した。さらに特筆すべきは、志の大きさが他を圧して際立ってゐたことである。その過酷な使命はいったい誰が与へたものなのか。また今日の情意が枯渇した時代に、風雅の道に生きる意味とは何かを問はねばならない。「文化の戦士たれ」と呼びかけたい。

創作短歌全体批評(第三日目)
     IBJL東芝リース(株)小柳志乃夫氏

 昨日は猛暑の中の短歌創作であったが、参加者全員が歌を詠んだといふことは大変なことで、有り難いことであった。短歌の相互批評の時間は、この合宿教室で最も楽しい時間になるはずで、短歌創作導入講義で紹介された廣瀬誠先生に「一人一人の短歌をめぐりよき意見次々にいで座ははづみつつ」といふお歌があるし、必携書である『短歌のすすめ』の著者夜久正雄先生は「おたがひにうたのあやまちただしつつなごむ心よ何にたとへむ」といふやうに詠まれてゐる。短歌の相互批評は、作者の気持ちを憶念し、皆で協力してその心に沿った表現を求める作業であり、心と言葉が一致した時に沸いてくる喜びを是非とも体験して欲しい。

 (この後、各班から一名づつ参加者の作品を取り上げ、作者の感動のポイントを押さへるとともに、一首一文といふ原則に照らしつつ表現を整へていった。その中で、「日本のこころ」といった抽象的・概括的な表現はなるべく避けるべきで、むしろ具体的な感動を注視する中に「日本のこころ」が自づと表現されるのではないかとの指摘がなされた)。

 短歌を創作することで、音律や仮名遣ひをまもることは文化の継承に他ならないことであり、また短歌の創作を通じて多くの先人の詠んだ歌を味はふ道が開けることになる。是非いい歌を声を出して読み、覚えて、五・七・五・七・七のリズムに親しんでほしい。特に明治天皇の御製拝誦をお勧めしたい。

講義
 「人がら・家がら・国がら」
     (株)寺子屋モデル代表 山口秀範氏

 江戸末期の同時代を生きた三人、二宮尊徳の道歌からは「人がら」、飯田新七(高島屋の創業者)の家訓からは「家がら」、そして藤田東湖の遺した著述からは「人がら、家がら」のみならず「国がら」をも窺ひ知ることが出来る。

 東湖作の「回天詩史」には、自身の39歳までの生き様・気概と、逆境に挫けない信念が詠はれてゐるが、そこに父・藤田幽谷の強い影響が見て取れる。水戸城下の古着屋に生れた幽谷は、圧倒的な学問の才で士分へと栄進。その幽谷が十八歳の時に著した『正名論』で、我が国における唯一の「王」は「真天子(天皇)」であると論じた。このやうな水戸藩の国家観は、第二代藩主の徳川光圀に起源を持つもので、司馬遷の『史記』列伝第一の「伯夷叔斉」を読みつつ、禅譲・放伐の帝位の変遷、こと放伐が現代まで正当化され、漢民族の地で古代より繰り広げられた王朝の転変の歴史こそ、彼らの「国がら」と言っていい。

  続いて西洋諸国の「国がら」の典型は、アメリカ合衆国の「独立宣言」に読みとれる。アメリカ人が最も大切に守らうとする「生命、自由、および幸福追求の権利」は、実は「Creator」―創造主、つまり全知全能のGOD―によって保証されてゐるものである。 さらに、多くのイスラム諸国の「国がら」は唯一絶対神、アラーへの忠誠と同義で、二十一世紀のグローバル世界にあっても、各民族の千年、二千年前の歴史が「国がら」を決定してゐる。

 それでは我が国の「国がら」はどうか。『日本書紀』の「天壌無窮の神勅」と「神武天皇の建国の詔」に我が国の「国がら」が示されてゐる。そしてそのご精神は歴代天皇方に連綿と受け継がれて平成の御代の現在に至ってゐる。御歴代の御製に触れて、それを確認して欲しい。

講話
 「謝恩の碑について ―筑豊炭田と朝鮮人労働者たち―」
     元福岡県立直方高等学校教諭 小野吉宣氏

 参加者の皆さんには宮若市内に建つ二つの碑、「俵口和一郎頌徳碑」(昭和4年除幕)と、「謝恩碑」(昭和10年除幕)を実地に見て貰ひたい。

 「頌徳」とは徳を頌(たた)える(徳を誉(ほ)めたたえる)ことで、貝島炭鉱の炭鉱長であった俵口和一郎の退職に際して、その下で働いてゐた朝鮮人労働者が仲間に呼び掛けて建てたものが俵口和一郎頌徳碑である。また「謝恩」とは受けた恩に対する感謝の気持ちを表すことだが、昭和10年、露天掘りの炭量が減少したことで貝島炭鉱が閉山することになった。その時、やはり朝鮮人労働者が20年あまりお世話になったとして浄財を集めて建てたものが謝恩碑である。

 当時の炭坑で働いた人達の大変素晴らしい善意が結晶した記念碑である。ところがことに近年珍妙な(意図的な)強制労働説が国際社会で流布されてゐるが、必ずしも政府外務省は適切に対処してゐない。しかしそこには建碑に尽力した朝鮮人の名前も刻まれてゐるのだ。本来であれば日韓の友好親善の原動力となるべきものであって、さうなることを強く願ってゐる。

閉会式

 主催者を代表して小柳志乃夫国文研副理事長は、講話を担当された小野吉宣氏の思ひのこもった言葉、また自身が担当した創作短歌全体批評など合宿教室の全体を振り返って、「自分の素直な気持ちや思ひをきちんと言葉にすることは大切なことであるが、普段の生活では中々気付く機会が少ない。参加者の皆さんには、この合宿教室が言葉を大切にしてゐることの意味合ひを感じ取って頂けたのではないかと思ふ。〝学問といふ一つの道〟に連なりたいと願ってゐる一人して、これからも皆さんと共に精進して行きたい」と挨拶した。

 そして、福岡大学経済学部三年西田忠正君による閉会宣言を以て、合宿教室(西日本)は幕を閉ぢた。

     国民文化研究会参与 折田豊生
   篠栗(ささぐり)の学びのつどひになつかしき友らと会へば胸のたかぶる
   久々にまみえし友に久しくも会はざる友のあけくれを聞く
   窓の外は夏の名残りの陽の光あふれてけやきの風に踊れる
   青々と木々繁りたる山見れば友らもかくと偲ばるるかな

     原土井病院院長 小柳左門
     朝の集ひ
   むら雲は若杉山の空をゆき風やや涼し朝の広場は
   むし暑さいまだ残れど篠栗(ささぐり)の山の上より法師蝉なく
   木々の葉はもみぢをおびて秋近き山辺の道を友と歩みぬ
   年ゆかぬ子供らもともに日の丸を仰ぐ朝(あした)の集ひはうれし

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   内容の深い講義を楽しく聞くことができた
     福岡大学 経済一年 M・Y

 合宿教室に参加して得るものがたくさんありました。講義で話される内容全てが深い意味を持っていて、興味がつきることがなく楽しく聞くことができたし、ただ本を読んでいては、わからないであろうことが理解できたと思います。また、合宿教室に集まってきた、いろいろな年齢の方に、自分の疑問をぶっつけ、難しくはありましたが、貴重な話を聞けました。今も、先人の話を全て理解したとは言えませんので、これからは話されたことを日常生活を送る中でじっくりと理解したいと思います。

   留学する前に日本の文化を学べて本当に良かった
     神奈川大学 人間科学三年 N・S

 父からの勧めで初めて参加しました。来年より留学が控えており、父から勧められた際に、留学する前に日本のことを知っていた方が良いと思ったためです。実際に参加して講義を受けてみると自分の知らないことがたくさんあり、日本人としてもっと日本のことを注目して学んでいかなければならなと痛感しました。また同世代の学生たちと二泊三日共に学び共に暮らすということは、とても良い刺激となりましたし、良い仲間が出来たことに感謝します。

 その中でも特に感じたことは短歌は人がらを表すということです。講義の中で偉人達の短歌に触れ、短歌創作で友人達の心に触れました。たった「五・七・五・七・七」しかない限られた世界で人が感じたことがこんなにも多く伝えることが出来るのだと感動を覚えました。今後は自分の感じたことで短歌を詠み、自分の感性を磨いていきたいと思います。

 留学する前に日本の文化を学ぶことが出来て本当に良かったです。日本人としての誇りを持って生きていくことが出来るように今後も勉学に励みたいと思います。

   合宿が終わった後も学んだことに触れていきたい
     広島修道大学 法四年 T・T

 山口秀範先生のお話が大変印象に残りました。「伯夷叔斉」の例を見て、水戸光圀や藤田東湖らが、中国における政治の失敗を踏まえ、日本の皇室を存続していくために智恵を絞っており、多くの先人の努力によって、今日まで皇統が続いていることを知り、感謝の念を抱きました。

 普段参加している学生向けの合宿では、憲法や大東亜戦争などのテーマが多いのですが、この合宿では福澤諭吉や松尾芭蕉、正岡子規、また日本や中国の古典など、素材として高度なものが資料に含まれていて、予備知識が乏しい自分にとっては、なかなか理解が困難なものも多くありましたが、合宿が終わった後も、これらに触れていきたいと思います。

   日本語の美しさと自身の心情を素直に表現する喜びを発見した
     福岡工業大学 短大一年 I・Y

 私にとってこの二泊三日はとても意義のあるものになりました。先生方のお話の中には難しい内容も多く理解することが大変なこともありましたが、班別研修などでお互いに意見を出し合い討論をすることでより深く内容に入っていくことができました。中でも三日目の山口秀範先生のお話は、とても印象に残っています。古典や神話を学習することで「人がら・家がら・国がら」に触れていくことができるというお話は、私にとって非常に新鮮な考え方で心に残りました。

 二日目に行った短歌創作では、短文で表現する難しさを痛感しながらも、日本語の美しさを認識して、自身の心情を素直に表現する喜びを発見することができました。またこの合宿を通じて新たな友との出会いもありました。友と協力し合い互いに学ぶ三日間にすることができたと思っています。この合宿で古典や短歌などを学んだことが、これから日本の文化について学んでいくきっかけになればと考えています。

   日本の国、国柄について日常では考えないことを学んだ
     中村学園大学 教育三年 H・Y

 この合宿を知ったのは大学からの案内で、初めはどんなことをするのか見当がつかず、少し抵抗感がありました。しかし、実際に参加してみると、日本の国について、国柄など、日本人についてなど日常では考えないことについて、班の皆さんと議論し、自分の行動を見直さないといけないと感じて、とても自分のためになったと思います。初めての参加ということもあって、内容についていくのが必死で、話を深めるという所まではなかなか行けませんでした。しかし、今まで知らなかった言葉や歴史、語源などたくさんのことが学べて、自分の引き出しを増やすことができました。

   他の大学の人とうまく話せて仲良くなれた
     福岡大学 経済二年 K・K

 開会式で開会宣言をさせて頂きました。かなり緊張しましたが、無事に宣言できて良かったです。貴重な体験になりました。また自分の中で結構大きな出来事だったのが、同じ部屋で初めて他の大学の人と過ごしたことです。初めは緊張してうまく話せなかったのですが、同じ風呂に入ったり、共に食事を摂ることで本当に仲良くなれました。たくさんの講義をして頂いて、歴史や短歌について学ぶことも出来ましたが、こういった生活面での取り組みがすごく印象に残っていて、一生忘れないだろうなと思います。

   教わることのなかったことを沢山教えていただいた
     (学)中村学園 松村沙織

 会場に着くまで不安ばかりでした。二泊三日の合宿を終えて、知識不足、勉強不足は事前の不安どおり痛感したとこころですが、今まで教わることのなかったことを沢山教えていただきました。合宿のサブタイトルであった「人は後ろ向きに未来に入っていく」について合宿前はイメージするのが難しかったのですが、少し理解できた気がします。「過去に学ぶ」ということから、私がどれだけの事を受け止めることができているのか分かりませんが、受け止めた事をどう未来につないでいくのかが大事なことだと感じています。

 毎年海外旅行をしますが、その度に自身の日本人としての自覚の低さや自国についての知識のなさに恥ずかしさを覚えながら、それを克服しようともせずにいます。必要性を感じながらも、日々の忙しさを言い訳に最初の一歩を踏み出していなかったのだと思います。今回の合宿をきっかけに日本の歴史を引き続き学んでいきたいと思います。

   社会全体をどう幸せにできるか、そのヒントが先人たちの言葉に隠されている
     (株)カウテレビジョン 小川雅裕

 二泊三日は長いようで短い時間であったが、その中で卒業以来、十数年ぶりに、古文や短歌など先人たちが遺してくれた様々な知見や教え、作品に触れた。その体験は、私が過去に触れた体験、学生時代のものよりも、非常に濃密で、学びの多いものだったように思う。それは、この日のために講義を準備して下さった先輩方のおかげというのはもちろんだが、学生時代と異なり、今、私が社会に出て、社会に生きているという私自身の環境の変化も大きな理由の一つだと思う。

 吉田松陰の講義において、「経書を読むの第一義は、聖賢に阿らぬこと要なり」とあり、正岡子規が芭蕉を崇める人たちや古今和歌集を一番とする人たちを批評したように、私はこうした先人たちの大いなる知見に学ばせて頂きながらも、自分の脳で、頭で、しっかりと考えて、盲目的にならずに、そうした言葉と向き合っていきたいと感じた。今、この時を生きる私にとっては、今のこの生をどう幸せに生きるか、そして私の周りの友人、ひいては社会全体をどう幸せにできるかが最も重要で大切なことだ。そのヒントが、日本の先人たちの生き様や言葉にふんだんに隠されているという気付きを得たことが、今回の合宿での一番大きな収穫かもしれない。

   講義のあとの班別研修で理解を深めることができた
     福岡中小企業経営者協会 大慈彌祐子

  初めて参加しました。数ヶ月前から勤務先で、短歌にふれたり吉田松陰について学び始めたところで、正直、日本の歴史に関する知識が浅い状態でした。三日間の講義内容は、このような私にとって、全て新鮮であり、興味深いものでした。歴史の見え方や見方が少し変わったような気がします。特に福沢諭吉「瘠我慢の説」については、講義及びその後の班別研修において、理解を深めることができました。講義内容に理解が追いつかず、納得できない部分を班別研修で意見交換することで、文章の中身が見えてくることが多く、班の皆様に助けていただきました。

 「過去を自分からつかみに行かないといけない」というメッセージをいただき、これからの人生において、歴史を学ぶ姿勢を大事に、忘れずにいたいと思います。

   自分とは何者であるかを考え直す機会となった
     元会社員 細谷真人

 あっと言う間の三日間、非常に学びの多い合宿であった。今年六月末に三十四年勤めた会社を退職して、独立開業を考えているいまの自分にとって、今合宿は改めて自分とは何者であるかーアイデンティティーを考え直す機会となった。自分がどこから来て何をし、何を残し、どこへ行こうとしたいのか。そのことを様々な講義や短歌創作、あるいは久しぶりの合宿生活という日常とは異なる刺激を自らに与えることで、より鮮明に味わうことができたと感じている。

 今合宿のテーマは「現代をより善く生きるために」であり、このことを三日間考えられ続けたことは大変に貴重な体験と言える。合宿を終えた今、「自分のアイデンティティを家族に伝えること」と「明治天皇の御製を味わうこと」の二点は取り組みたいと感じており、楽しみながら取り組んでいきたい。

   いかに自分が閉じた世界にいるかを痛感した
     (株)グランドビジョン 川西 潤

 此度合宿に参加させていただき、本当によい「刺激」になりました。正岡子規の話や和歌の創作において、決して普段触れることのないものに触れ、その生き様を心から理解しようと頭を悩ませ、正確に、そして美しく自分の感情を示す言葉を捻り出そうと考えました。それを友人と共有する過程も含めて、いかに自分が閉じた世界にいるかを痛感すると同時に、有意義で刺激的な時間を過ごしました。以上の感想とは別に思ったことがあります。

 これらの内容を大学生や社会人等、若い世代に知ってもらいたいということでしたが、若い世代に限らずあらゆる年代の人を目標にするべきです。この内容は日本人が一生を通じて学んでいくものと思います。また講義の「進め方」、講師の「話し方」、そういった送り手側の技法ももっと磨いた方がいいと思いました。折角の素晴らしい内容ですから、もっとおもしろく楽しく伝えるように目指していただければと思います。

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     福岡工業大学 短大一年 I・Y
 合宿で古典に学び歌にふれ先人たちを誇りに思ふ
      元小学校教諭 野元政司
遺(のこ)されし松陰先生の文章を共に学びて絆深まる

     神奈川大学 人間科学三年 N・S
 よく学びよく笑ひたる友たちとまた会ふ日まで日々に励まん

     福岡大学 経済三年 N・T
 篠栗(ささぐり)の友らが集ふ学舎(まなびや)で頭悩ませ短歌創作

     寺子屋モデル講師 内山慶子
 集ひ来て「より善く生きむ」と学びたるこの日生かして日々を過さむ

     吉田調剤薬局 吉田喜久子
 お互ひに意見を交はし学び合ふ班別研修胸に焼きつく

     (学)中村学園 松村沙織
 講義聴き班で深めたこの学び心に刻み明日に繋げん

     福岡大学 経済一年 M・Y
 合宿の夜の暑さがすさまじく止まることなきベタつく汗よ

     (株)グランドビジョン 河野晟之
 先人の使命にふれる合宿で新たな夢をふくらませたり

     (株)カウテレビジョン 小川雅裕
 先人の教へに学び我気付く幸せの種は足下にありと

     華泉書道会 坂本和代
 六十路(むそぢ)すぎ学びの合宿(やど)の楽しみは歴史に和歌に班別研修

     福岡中小企業経営者協会 大慈彌祐子
 先人の思ひを友と語り合ひ我人生の糧とするべし

     福正会 中島保博
 合宿で皆と学んだよき短歌これから励む国がらづくり

     元会社員 細谷真人
   伊藤伝右衛門旧邸にて
 あちらこちらと見所多き大屋敷見てゆくほどに時を忘るる

     広島修道大学 法四年 T・T
   南蔵院にて
 国がため命を尽くせし人々を忘るるなかれと碑文は教ふる(防人の碑)

     元小学校校長 猪部敬彦
 吹き出づる汗拭(のご)ひつつ見上ぐれば釈迦のお顔は涼やかにおはす

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   平泉澄先生の『物語日本史』

 いま大学院に進んで一年が終らううしてゐます(編註・平成30年3月)。大学院に在籍してゐますと、所謂「研究」を続けなければなりません。それは当然のことであり大事なことですが、私は研究の対象としてゐる人物とその学問に少しでも近づくことが出来るやうな研究をしたいと思ってゐます。

 私が高校時代から尊敬し私淑してゐますのは戦前東京帝国大学の教授でありました平泉澄先生です。先生の御専門は中世史ですが、そこに留まらず古代に関しても江戸時代についても取り組んでをられて、非常に幅広い御研究をなされた先生です。

 その平泉先生の学風、学問姿勢は簡単には言へませんが、私なりに申しますと、「研究」の対象である古人に対して、敬ひの念をもってその人物に少しでも自らが近づけるやうに努めるといふことだと思ひます。

 私が平泉先生について、知りたいと思った切っ掛けは、もともと私は歴史が好きだったのですが、高校時代に先生の御著書『物語日本史』を読んだことからです。うまくは言へませんが、この御著書を読んだ時にすごく共鳴したことを覚えてゐます。どうして惹かれたのか、「良かったから」「面白かったから」としか言ひやうがありません。

 その平泉先生は色んな人物について論究されてゐます。例へば楠木正成であったり、吉田松陰であったりだとか、その中で特に色々な所で出て来るのが江戸時代の学問であります。なかでも朱子学者で神道家であった山崎闇斎(1619~1682)の学問についてよく説かれてゐます。私がいま大学院で研究してゐるのは、山崎闇斎とその学統に連なる人達についてです。

 闇斎の学問については、朱子学研究の面を「崎門学(きもんがく)」と言ひまして、神道研究の面を「垂加(すいか)神道(しんとう)」と言ひます。私は神道学専攻といふことで、垂加神道の方を中心に研究してをります。

   指導教授からの有難い御助言

 最初大学院に入る時は、学部時代の研究テーマが「平泉澄先生の学問思想」でしたので、大学院に進学してからもそうした方向の研究を続けようかな、と漠然と考へてをりました。ただいつかは平泉先生がやってをられた崎門学についても研究してみたいといふ気持はありました。

 進学前に、指導教授と少しお話しすることがありました。その時に先生から、「今後研究するならば、大貫自身が〝専門〟と呼ばれるものを確立するにあたって、やはり平泉先生がやって来られたことをやるといふのが大事なのではないか。例へば、中世の楠公であったり北畠親房であったり、平泉先生がやって来られた学問を何か一つやるといふことが学問の継承になるのではないか」と言っていただけました。崎門学にも関心があって、いつかはやりたいなと思ってゐた時でしたので、先生にそのやうに言っていただけたのは凄く有難く嬉しいことでした。

 私の指導教授の師匠に当るのは平泉先生のお弟子である近藤啓吾先生でありまして、さういふこともありまして、正に、私の中では「平泉澄博士の〝学統〟に僅かにでも連なることが出来るならばこんなに嬉しいことはないと思ってをります。

 ただ、所謂「研究」と言ひますと、論文の体裁に整へて学会に通用するやうに発表するといふことも大切です。しかしながら、やはり平泉先生がやって来られたやうに「研究」といふものは、「研究」として大事ではあるが、自分自身の生きる指針として先人を仰いで近づいて行かうとする、その両立といふものが大切なことであり、私の場合その指針が平泉先生であり、闇斎門下の「崎門の人達」であるといふことなのです。

   「闇斎をみづからの身に求めよ」

 そこで、近藤先生の御文章で私が好きなものがありますので、御紹介したいと思ひます。それは「山崎闇斎の研究に贈る辞」といふものです。

 その中で近藤先生は、「闇斎を研究せんとするものは、闇斎を紙上に求めんとするのではなく、みづからの身に求めねばならぬ。この決意なくして闇斎の研究は、血のかよはぬ赤の他人の外からする評論であり、闇斎の魂の光に触れることはできない」と言ってをられます。

 所謂「研究」中で、求められてくる「客観性」と、それと共に、その人物に近づいて行かうとする「主観性」といったものが大事なのだと私は思ってゐます。

 闇斎の学問といふのは、平泉先生の学問に非常に似てゐる所がありまして、闇斎の孫弟子にあたる人物に若林強斎という方がをりますが、闇斎の弟子の浅見絅斎(けい さい)といふ『靖献遺言』を書いた方のお弟子さんです。その若林強斎が次のやうに言ってゐます。

「我国士臣ノ目当ハ、彼楠氏ノ一語ノ外コレナキコトナリ」(『雑話続録』)

 やはり、強斎といふ人も、自らの家塾を「望楠軒」としたやうに、楠木正成といふ先人を仰いで、実践躬行、それに倣って己自身も楠公のやうな生き方をするんだといふことで学問に取り組んだのでした。平泉先生と同じやうな研究の姿勢、学問のスタイルでありました。

 私自身は、闇斎そして、強斎の「望楠軒」の学問といふものを体認するといふことで、平泉先生の学風に近づき、その学問を少しでも己自身のものにすることが出来るのではないかといふやうに思ってゐます。体認とは、「自分のこととして体験的に理解して会得する」の意ですが、要するに学問の継承とその体認、それが「私にとっての生きる糧」であります。

 独り善がりの「発表」となりましたが、それに向けて、現在努めてゐるところです。

(國學院大學大学院修士課程一年)

 

※東京地区春季日帰り研修会は 3月21日(水)午前10時から午後5時まで、学生5名に社会人も加はり国立オリンピック記念青少年総合センター(渋谷区)で実施されました。

 

訂正とお詫び

 前月号の「殉国七士の墓」に関する拙文中、3頁3段目及び四段目の興禅寺住職は市川伊雄師の誤りでした。訂正してお詫び申し上げます。
古賀 智)

 

編集後記

 「現代をより善く生きる…」。合宿教室(西日本)での学びの一端をご賢察ください。「より善く」生きんとする意欲はどこから発するのだらうか。わが生命と日々話す言葉(国語)が、先人と断ち難く繋がってゐるとの実感からではなからうか。人間だけが精神的に過去に繋がることができる。歴史喪失は人間喪失に等しい。記紀万葉を仰ぎ、短歌に親しむのも「より人間らしく」を念じることにほかならない。「小学校英語」がさらに低学年化するが、人間形成の大本を見失ってはゐないか。

 9月7日からは合宿教室(東日本)である。富士の麓での研鑽だ。
(山内)

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