第684号
執筆者 | 題名 |
合宿教室(東日本)運営委員長 池松 伸典 |
富士の麓で「日本の心」を学ぶ - 「わが国の歴史と文化をより深く理解する」 - |
合宿教室(東日本)のあらまし | |
合宿教室(東日本)(かな遣ひママ)走り書きの感想文から(抄) |
第63回全国学生青年合宿教室(東日本)は、福岡県篠栗町で8月開催の「合宿教室(西日本)」に続いて、9月7日から二泊三日の日程で霊峰富士の麓、静岡県御殿場市の「国立中央青少年交流の家」に学生、社会人63名が集って開かれた。
御殿場には富士山に降った雨や雪が数十年かけて湧き出る所が各地にある。地上に湧出する清水の如くに、遠く先人の生き方、代々の同胞の心をたどることで、「日本の心」も今日の我らの胸の裡にも蘇ってくるものと思ふ。合宿地周辺に生ひ繁る草木に目を留めると、改めてそんな気がした。問題は、それに気づくか否かであらう。
講義はもちろんのこと、班員の僅かな言葉にも耳を澄ませて「良く聞くこと」に心がけようといふことから合宿教室は始まった。
開会式に引き続いて、すぐに招聘講師の江崎道朗先生のご講義「日米同盟の行方と中国への姿勢」が行はれた。冒頭で、先生は学生時代に合宿教室に参加したこと、小柳陽太郎先生(元本会副会長)と出会ひ物事を正確に見つめることの大切さを学んだこと等々を熱く語られたのであった。そして国際情勢を間違ひなく認識するにはどうあったら良いのかを具体的に説かれた。ご講義後は、各班を廻られて、参加者の質問にも懇切に答へて下さった。
会員講師の各講義も懐ひのこもったものだった。國武忠彦先生「日本のこころ『古事記』」では、先づグローバル化と人工知能(AI)に触れられて、心で感じ取ることでしか分らないものがあるはずと述べられた。そして「日本のこころ」をしっかりと見定めることが忘れられてはならないとして、大陸文化が滔々と流入する中で『古事記』が編纂された意味合ひをその書き出しの「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時」の一節などを引きながら詳説された。「聖徳太子の御言葉に触れて―憲法十七条を中心に―」と題する原川猛雄講師の講義では、そこには今日でも通用する深い人間観があるとの指摘がなされて、第十条の「共に是れ凡夫のみ」等々の条文に具体的に触れながら解説されたのであった。青山直幸講師の「日本の国柄―明治150年に思ふ」では、古代から一貫する「天皇のまつりごとの本質」が文献を提示しつつ説かれた。ことに父帝亡きあと16歳にして皇位を継がれた明治天皇の御決意を示す「明治維新の宸翰」は学生参加者の胸に強く響いた感じだった。
合宿教室では全参加者が短歌を創作することになってゐる。小柳雄平講師による「短歌創作導入講義」では、自らの作歌体験を糸口に歌を詠むことの意義が説かれた。この講義を承けて、参加者は短歌の創作に勤(いそ)しんだのだった。そして澤部壽孫講師によって「創作短歌全体批評」が行はれ、物事を正確に詠むとはどのやうなことなのかのお手本が示された。この後の「班別短歌相互批評」では各人の詠んだ歌について表現は適切か、誇張したものになってはゐないかなどと、正確な表現を求めて忌憚のない遣り取りが行はれた。
御殿場は標高700Mの地にあって、9月ともなると天候が変りやすく、曇天のもと急に雨が降り出すなど、富士山はなかなか全容を見せなかった。3日目の「朝の集ひ」の際には、一時雨が上って僅かに富士の裾野が望まれた。山梨県在住で御殿場とは逆の方向から日々富士を仰いでをられる前田秀一郎氏によって、「雲に隠れた富士山を詠んだ」本居宣長と三井甲之の短歌が紹介されたのは一興であった(編註・5頁に掲載)。
九州を初めとして各地からの参加者がをられる中で、富士の雄姿を目にせずに閉幕することになるのかと残念な気持になってゐたところ、閉会が近づくにつれて徐々に雲が切れて富士山が全貌を現はしたのには驚き、また嬉しかった。
閉会式の挨拶の中で、富山県から参加の岸本弘氏が、
合宿の終る間際(まぎは)に富士の峰(ね)はしるく立ちたりなんと嬉しき
とのお歌を披露されたが、私も全く同感であった。
合宿教室では先人の遺した様々な言葉が語られたが、参加者それぞれの胸にそれぞれの形で響いてきたものがあったと思ふ。ここでの学びの経験を心に刻み日常の場で生かされることを切に願ってゐる。
(若築建設(株)東京支店)
開会式(第1日目)
合宿教室(東日本)は筑波大学大学院2年横川翔君の開会宣言で幕を開けた。主催者代表挨拶で今林賢郁国文研理事長は「今年は明治150年で、戦後は73年である。明治150年の半分が戦後といふことになるが、明治の先人たちの自主独立の気概を受継いできたのだらうかと思ふと、内心忸怩(ぢくぢ)たるものがある。自分の周辺のことしか関心を示さず、国防も米国任せといふ他者依存の風潮から脱却し真に独立国家として日本を再建しなければならない。その為には我が国の文化伝統を知らねばならないが、その道標(しるべ)となるのが古典だ。それは民族の記憶であり先人が何に生きがひや価値を置いてきたか、日本の思想に触れることができる。それが蘇れば自国と自分に対する誇りが生れる。この合宿でその手掛りを掴んでほしい」と述べた。
次いで、池松伸典運営委員長は「講師のお話だけでなく班員の言葉にも耳を傾けて、心で感じてほしい。一つでも心に残る言葉を持ち帰ってほしい」と呼びかけた。
講義
「日米同盟の行方と中国への姿勢」 評論家 江崎道朗先生
私は大学時代にこの合宿教室に参加して、生涯の師となる小柳陽太郎先生、山田輝彦先生と出会った。お二人から日本をより良くする「学問」の存在に気付かされた。先の戦争を止められなかった要因に、政治を正すための学問(学者)の側にその任務が果たせなかったことがあるといふことも教へられた。
その学問とは、知識を増やし見識を高めるとともに、自分の心を鍛えて自己自身を磨けば磨くほどいかに自分が未熟であるかを痛感するやうになるもの、他人の心の動きを「正確に理解し受け止める力」を養ふといふものである。
小柳先生からは政治家や官僚を説得する力を身に着けること、自分がどのやうな見識を持たねばならないかを勉強することだと教へられた。私はそれ以来、単なるマスコミ批判をやめて、どう日本を良くするかに取り組んだ。平成19年の教育基本法改正では草案作りにも携はった。この30年間、私は学問の実践の道を歩んで来た。現在の政権中枢の要所の方に私の政策提言が受け入れられるのはその学問の力によるものだと両先生に感謝してゐる。
トランプ共和党政権には対北朝鮮政策に四つの課題がある。その一はオバマリスク、その二は韓国リスク、その三は中国リスク、そしてその四は日本リスクだ。オバマ政権が軍事費を大幅にカットしたため、弾薬の備蓄も減少した。金のかかる訓練が減った結果、未熟練による事故が増えた。トランプはオバマの軍縮でボロボロになったインテリジェンス機関を再建して、防衛費を増額した。備蓄や修理工場を増やしてきた。さうしなければ戦争はできない。北朝鮮の核基地は地下50メーターの地底にあり、核では破壊できない。大型の貫通爆弾バンカーバスター爆撃機をグアムに配備し、今年1月に完了した。このやうに一年半で攻撃態勢を整へてきたタイミングで北との和平交渉が始まった。ただし、戦争には金がかかる。北の核施設1,200ヶ所を爆撃するのに10兆円かかる。そしてアンダーソン基地のミサイル在庫は500発であり、ただちに爆撃する能力はない。現場を知れば北朝鮮を爆撃することなどありえない。
報道では斬首作戦が伝へられるが、日本のメディアは実態を知らない。韓国の現政権は北に乗っ取られてをり、国家情報院を解体してしまった。これでは北を爆撃したらその後の制圧を韓国に期待できない。その隙を狙って中国が進出しようとする。最後の日本リスクとは朝鮮半島と南西諸島・台湾の二方面の危機に日本が対処できないことである。
トランプは経済の締め付けで、中国の軍拡を阻止しようとしてゐる。
しかし、日本のメディアはこのことを「正確に理解」してゐない。中国は本気で日本を支配しようとしてゐて、日本の大企業の株を買って経済的に君臨し、「コンドミニアム化」(「共同搾取」を意味する隠語)しようとしてゐる。軍事が成り立つには経済とインテリジェンスが重要で、デフレを脱却して日米の連携で「アジアの自由」をどう守るのか、といふことを日本は迫られてゐる。
講義
「日本のこころ『古事記』」 昭和音楽大学名誉教授・本会参与 國武忠彦氏
いま、日本は「グローバル化」のなかにある。グローバル化とはヒト・モノ・カネ・情報が容易に国境を越えることで、さらにはAI(人工知能)が云々されてゐる。かうした時代なればこそ日本特有の文化を自覚することが不可欠である。
七世紀の日本は、中国文化への崇拝のなかにあった。天武天皇は古語が失はれれば「古(いにしへ)の実(マコト)のありさま」も失はれると憂慮されて『古事記』の筆録を企画された、と本居宣長は拝察する。また、古代の日本の言葉は、「朴(すなほ)」である。「古より云ひ伝へたるまゝに記されたれば、そのこころもしわざも言葉も、みな上つ代の実(マコト)なり」と信じた。
『古事記』冒頭の「天地」をどう読むか。宣長は「アメツチ」と読む。「テンチ」と読むのは、中国人である。「古への心」を理解するには、「古言」を理解せよ。それが学問の眼目である。「高天原(たかまのはら)」は、空の上にある「天神(あまつかみ)」たちの住む国である。その有「高天原に成りませる神」が、「産巣日(ムスビ)」の神である。この世にるものは、皆この神の「御徳(ミメグミ)」である。「産巣(ムス)は生(ムス)なり」、「日(ビ)」は「産霊(ムスビ)」の「霊」で霊力である、と宣長は解釈する。
「葦牙(あしかび)」のごとく萌(も)え騰(あ)がるものによりて、成りませる神は、「宇摩(う ま)志(し)阿斯訶備(あしかび)比古遅(ひこぢ)」の神。「宇摩(うま)志(し)」は美称ほめ言葉で、「葦(あし)牙(かび)」のすばらし成長力に、あゝと感動する、その感動がそのまま神になってゐる。自然との共鳴共感の中で神が生れてゐる。宣長は、「尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏(カシコ)き物を迦微(カミ)とは云ふなり」と説いた。
「神代(かみよ)七代(ななよ)」の神々は、大地を作る神々である。「於(お)母(も)陀流神(だるのかみ)」は、余すところなく大地が完成した「面(おも)足る」、満足した神である。「阿夜(あや)訶志古泥神(かしこねのかみ)」は、そのことを「阿(あ)夜(や)」あゝと驚き、畏(おそ)れ「訶(か)志古(しこ)」む神である。
日本の神は古代人のこころの経験であり、こころの中に生きてゐたものであった。
講義(第二日目)
「聖徳太子の御言葉に触れて ―憲法十七条を中心に―」 元神奈川県立小田原高校教諭 原川猛雄氏
今から1,400年前の聖徳太子の憲法十七条には、現在でも通用する教へが説かれてゐる。第一条に「人皆党(たむら)あり、亦達(さと)れる者少し。是を以て或は君父(くんぷ)に順(まつろ)はず、乍(たちま)ち隣(りん)里(り)に違(たが)ふ」とある。これはいつの時代も変らない人間の姿であらう。
太子は、現実の人間の姿をしっかり見つめた上で、どうしたらよいのかといふ解決の道ををお示しになった。どうしたら対立する相手と穏やかに接することができるかといふのは永遠の課題である。意見が違って対立すると、喧嘩にもなりかねない。あとで振り返ると、どうして自分の意見にこだはってゐたのかと愚かさに気付かされる。第十条で「共に」「是れ」「凡夫のみ」と言葉を強めてゐる点に注意して欲しい。太子は、この世の中の人は、身分の高下、頭の賢愚に拘はらず、「全ての人が凡夫である」と指摘されてゐる。そして誤ったものの見方にとらはれたり、欲に支配されると、人の道から外れてしまふ。だから、「忿(ふん)を絶ち、瞋(しん)を棄て、人の違ふを怒らざれ」と実に大事なことを説かれゐる。太子は、凡夫のままで救はれる道、つまり人間らしく生きる道を説かれたと思ふ。
聖人とは、凡夫に徹した人のことではなからうか。己の足らはぬ姿を見つめ、自他の区別なく人々と共に救はれる道を実現したいと精進してゐる人のことだと思ふ。聖徳太子はまさにそのやうな方であった。お互ひに、至らぬ凡夫であることに目覚めれば、そこに他者との広やかな共感の世界が開けてくる。黒上正一郎先生は、それを「他と共なる生」と表現された。個我の迷執から解き放たれて、お互ひ謙虚な気持ちで接することのできる世界、それこそが、太子の願はれた世界だと思ふ。
短歌創作導入講義 伊佐ホームズ(株)小柳雄平氏
短歌を創作するといふことは、「豊かな心を育てる」ための修練である。物事を見つめ、その事象の中核を的確に見出し、そして自分の心を見つめ整へて、正確に短歌の定型に言葉で表現する。この一連の作業を日々繰り返すことで、ものごとを見る目を養ふことにつながり、正確な洞察力、判断力が鍛へられる。また身の回りに無数にある、自然の美しさ、ものごとの不思議さ、こまやかな人の心の動きなどにも気づいて感動する心が育まれる。そして、短歌の表現の手本として先人の秀歌を読み味はふとことも大切である。これらを通して、国語の美しい響き、様々な心の機微を表す種々の表現に日本人が古代より培ってきた豊かな心の動きを感知することが出来る。
先輩や友人と折々に短歌を詠み交はしてきた中で、右のやうに実感してゐる。たとへ、これまで短歌創作の経験が少ない人でも歌は詠める。先づは小さな感動であっても、その一点に深く思ひを留めて自分の感動を正確に見つめて、それを言葉に表現する。人に伝はるやうに適切の言葉を探す。短歌を詠むといふことは、自分の心を客観視することでもあると思ふ。あまり気負はずに、まづは感じたままを詠んで欲しい。
散策(短歌創作)
御殿場の地は海抜700メートル余であって、秋の訪れがかなり早いやうであった。短歌の創作をかねて参加者は「交流の家」の敷地内を散策した。広大な敷地には万葉植物を初めとして、さまざまな植物が生ひ繁ってゐて、秋の草花がそこかしこに可憐な姿を見せてゐた。生憎の曇天のもとで、さらには小雨が降るかと思へば、陽が射して、また小雨に見舞はれるといふ天候ではあったが吹き来たる風は心地良かった。各々洋傘を片手に短歌の創作に取り組んだ。
講義
「日本の国柄 ―明治百五十年に思ふ―」 三菱地所(株)都市開発二部専門調査役 青山直幸氏
日本の国柄は、歴史学者坂本太郎博士が日本の歴史の特性として提唱された「連綿性」「「躍進性」「中和性」の三つの特性で考へるとわかり易い。中でも「連綿性」の中心となってゐるのは万世一系の天皇である。その天皇が行はれるまつりごとの本質とはなにか。『古事記』の国譲(ゆず)りの一節で建御雷神(たけみかづちのかみ)が大国主神(おほくにぬしのかみ)に「汝がうしはける葦原(あしはら)中国(なかつくに)は、我が御子の知らす国と言依(ことよ)さし賜へり。故(かれ)汝が心いかに」と問ふ。本居宣長は、『古事記伝』の中で、「知らす」について、「…即ち自他の区別がなくなって一つに溶けこんでしまふこと」と書いてゐる。
今年は、明治150年に当る。明治維新とは何か。迫り来る西欧列強に対し、国民すべてが力を合はせて、日本国の独立を守り、内乱を起すことなく諸外国の干渉を排し、近代的統一国家を作った。この一大変革を伴った独立運動の原動力になられたのが孝明天皇であった。孝明天皇は島津斉彬(なりあきら)、毛利慶親(よしちか)、松平容保(かたもり)など雄藩大名に御志を御宸翰(ごしんかん)や御製によって伝へられた。さらに、御妹和宮を正室として迎へた将軍・家茂に対し、「汝、朕を親しむこと、父の如くせよ。其親睦(しん ぼく)の厚薄、天下挽回(ばんかい)の成否に関係す」と公武が強い絆で結ばれ、君民一体となって、国難を打開しようと切望された。孝明天皇の御志は実を結ぶかに見えたが、突然の病(痘瘡か)で崩御。弱冠16歳の明治天皇はその御悲歎の底から立ち上がられ、「天下億兆(おくちよう)一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば、…」と悲痛なまでの御決意をされる。さらに「一君万民」「公議輿論」「万国対峙」などの時代精神を背景に由利公正などによって練られたものを御裁可になり、近代日本の国是として天地の神々に誓はれたものが「五箇條の御誓文」である。そして終戦後、昭和21年元旦、昭和天皇は「新日本建設に関する詔書」の冒頭にこの「五箇條の御誓文」を掲げられ、「叡旨公明正大、又(また)何ヲカ加ヘン」と明治維新の精神の継承を望まれたのである。
創作短歌全体批評(第3日目) 国民文化研究会副理事長 澤部壽孫氏
昨日の雨模様の中の散策で詠まれた参加者の短歌を読ませてもらひ、一所懸命に詠まれてゐることが感じられて、日本の将来は大丈夫だと思った。お配りした「歌稿」には全員の短歌が少なくとも一首は載せられてゐる。短歌の批評とは他人の歌をじろじろ見て批判するのではなく、作者の気持ちになってその歌を味はひ、作者の気持ちに最もふさはしいと思はれる言葉を選ぶことである。作者の気持ちに寄り添ひながら適切な言葉をさがすことは、一人が詠んだ歌を全員でまづ味はふことであり、正確な表現を探究する中で、得難い共感の世界が生れる。
(「全体批評」の中では、実際に創作された参加者の歌がいくつか取り上げられて、対象を正確に詠むとはどういふことなのか、適切な言葉をさがすとは如何なることなのかが具体的に示された。一首の歌の批評を通して共感の世界が講義室に醸し出された)
古代より私達の祖先が短歌を詠んで心を整へ、思ひを通はせ合ひつつ国を守ってきた。それを「敷島の道」と呼び慣はしてゐるが、私達が短歌を詠むことは、まさに「敷島の道」を践んでゐるといふことである。自分の気持ちを正確に述べようと務めることは相手の話を正確に聴くといふことの実践でもある。それはまた、現在の大学の学問に欠けてゐる非常に大切なことなのである。
講話
「亡き師の御言葉」 若築建設(株)東京支店 池松伸典氏
国民文化研究会の源流である旧制一高「昭信会」の頃から活動を続けられてゐた高木尚一先生の遺稿集には、「仕事に追はれ忙しすぎるために心の生長をなくしてしまひ、さういふ自分を半ば得意になってゐる場合が多い」「『心が亡びる』ことを嘆く人は少ない」と述べられた一文があった。50年前の文章であるが、人として生きていく上で最も大切な心の問題をいかに疎かにしてゐるかと考へさせられる一節だった。現代人は交通機関の発達によって容易に人と会ふ機会を持つことができるが、一方では真の「心の交流、精神の共鳴」の経験は少ないのではないか。
黒上正一郎先生は御著書『聖徳太子の信仰思想と日本文化創業』の中で、太子の時代に、中国から仏教、儒教などの思想が渡ってきたが、古代の日本には、例へば「孝の理論」はなかったが、それに「生命をあたふべき内なるまことの力」が備はってゐたと説かれてゐる。それは家族を残して任に赴く防人の歌から感じとることができる。概念に捉はれたままではその真実に触れることはできないのである。
先の大戦開戦一ヶ月半ほど前の「日本世界観大学」(国文研の前身、日本学生協会主催)といふ講座で、小田村寅二郎先生は、当時のスローガンが横行し真実を見失ってゐる現状を批判されて、「思想は、國運を左右する重大な問題である」と訴へられてゐた。この合宿での学びから、学問のあり方がいかに大事なことなのかを心に刻んで欲しい。
全体感想自由発表(要旨)
・「合宿で生きる力を貰った。日本に生れた幸せを感じた」
・「正確に聞くことの大切さを教へられた」
・「父・孝明帝を十六歳で喪くして皇位を践まれた若き明治天皇の〝御決意〟を知った」。
・「五箇条の御誓文の深い意味合ひを知って良かった」
・「言葉では知ってゐたが『うしはく』と『しらす』の相違の深意を実感できた」
・「教員を志望してゐるが、日本に生れた幸せを感じさせられる先生になりたい」
・「学問するとは、日本の国を学ぶとは、どうといふことなのかを合宿中に何度も自分に問ふた」
・「短歌の相互批評で、自分の気持ちにぴったりの表現にたどり着いた時はすっきりした」
閉会式
主催者を代表して岸本弘国文研会員は、「昼食の後、雲が切れて富士山が目の前に雄姿を見せてくれた。そこで〝合宿の終る間際(まぎは)に富士の峰はしるく立ちたりなんと嬉しき〟と詠んだ。合宿に何を求めてやってきたのか、合宿から何をつかんで家路に就かうとしてゐるのか。それを富士に向って問ひかけ、富士から答へをいただく思ひである。班別研修の中で、講義内容を咀嚼し、自分の勘違ひしてゐるところを友から正してもらった体験は、生活のどの場にあっても一番大切な人と人との付き合ひ方だと思ふ。皆さんとともに有意義な時間をもたせていただいたことにお礼申し上げたい」と挨拶した。そして、信州大学繊維学部一年渡辺平祐君の閉会宣言を以て、合宿教室(東日本)の幕は閉ぢられた。
短歌鑑賞(「朝の集ひ」の中で)
第二日目 紹介者・澤部壽孫
松吉正資
ゆく身にはひとしほしむるふるさとの人のなさけのあたたかきかな
数ならぬ身にはあれども吾を送る人の思ひにこたへざらめや
うつそみはよし砕くともはらからのなさけ忘れじ常世行くまで
松吉正資(まつよしまさし)は山口県安下庄(あげのしよう)町出身。昭和17年9月、東京帝国大学法学部に進み、18年12月、学徒出陣。20年5月11日、琴平飛行隊魁隊(さきがけたい)(特攻隊)偵察員として鹿児島県指宿を離陸して沖縄に向ふ途中、故障して波上に跳躍して、転覆。戦死した。海軍中尉。22歳。この歌は出征前の18年11月、「述懐」と題して故里の地で詠まれた連作。
短歌鑑賞(「朝の集ひ」の中で)
第三日目 紹介者・前田秀一郎
遠山霞 本居宣長
心あての霞ばかりにきのふ見しふじのねたどる東路(あづまぢ)の空
(都から東国へ行く途中、あいにく富士山は霞に覆はれて見えないので、昨日見た富士の峰があると思はれる辺りの空を眺め、富士の姿を慕はしく思ひ量りながら旅行くことである)。本居宣長は江戸時代中期の国学者。 この歌は寛政3年(1791)63歳の時の作。
三井甲之
みんなみにそびゆる富士は雲立ちて見えずもゆかしそのあるあたり
○
ますらをのかなしきいのちつみかさねつみかさねまもるやまとしまねを
三井甲之は、山梨県の出身で明治・大正・昭和時代の歌人、思想家。昭和28年歿。
印象に残った江崎道朗先生のお話
信州大学 繊維1年 H・W
この合宿に参加して、先人から学ぶことの大切さや短歌を創作することの大変さ、そして短歌を自分の思っているような形で表現できたときの嬉しさを学びました。
最も印象に残っている講義は江崎道朗先生のお話です。相手の言葉を正確に理解することがどれだけ大切かを具体例をふまえながら教えていただき、とても感心したと同時に、自分の中のモヤモヤが晴れて嬉しい気持で一杯いになりました。個々の人で起こっている話のずれや理解度の違いは国同士でもしばしば起こっているのだと痛感しました。これから学んでいく中で、我流ではなく専門家の力をかりて指導していただき、共に勉強していくことが学問をやる上で重要だとわかりました。
班別の皆(みな)と会話盛り上がり心の深まる合宿教室
○
心打たれた三日間だった
長崎大学 教育4年 M・T
原川猛雄先生のご講義では、十七条憲法の第一条「上和(やわら)ぎ、下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、事理自(おのづ)から通ふ。何事か成らざらむ」という精神が今の自分を支えるものとなるのだと思いました。また十七条憲法の教えが今も生きているということを身にしみて感じました。
青山直幸先生のご講義では、ことに「しらす」というご精神に心打たれました。「これが昔から日本人が大事にしてきものなんだ」と思わされました。天皇陛下が私達国民のことを、「知りたい」「共に分かち合いたい」と思って下さること、つまりは「君民一体」のご精神を体現して下さっていることが、本当に有難く、私も一人の日本人としてこのご精神を仰いでいきます。
先生方のお言葉、ご姿勢に強く心打たれた三日間でした。
「感じとる」気持ち忘れず事に触れ向き合ひつづくる我でありたし
○
心で感じることの大切さを知った
東京大学 教養文Ⅰ1年 R・E
大変に多くのことを学びました。中でも大切だと感じたことは、心で感じるということです。利に注視しがちな現代において、心で感じるという行為はなかなか実践・継続するのが困難であります。しかし感じ取るというのは、多くの物事の本質を摑むために非常に重要なことであるということを合宿の中で幾度も感じました。そしてそのためには、物事を正確に捉えようとする姿勢や謙虚な態度が必要であるとともに、何よりも感じ取ることを最も必要とする短歌が大切あると思いました。
また原典を読むことの大切さも学びました。合宿で古事記、十七条憲法、御製など数多くの原典に触れましたが、原典の魅力というのは、自分の心に感ずるところがあちらこちらに存在している点にある、と感じました。それまでの無味乾燥な知識では学び得なかったことが原典にはあると思いました。
合宿で学びしことの多きこと頭は疲れ心は嬉し
○
心に残った「明治天皇の御決意」
長崎大学 教育4年 Y・K
特に心に残ったのは青山直幸先生のご講義の中で紹介された「明治天皇の御決意」の文章です。御歳16歳にして、なんとこんなにも重く苦しく、しかし強いご覚悟が伝わる御言葉なのだろうか、と思いました。天皇として、たったお一人で、日本を、日本国民を背負われることへの責任、恐れ、不安。けれどもそこには、「国民全員」というざっくりしたものではなく、「国民一人一人」に、細やかに目を向けた深く限りない愛を感じました。
今上天皇もまた、皇太子となられるとき、11歳にしてその使命を負うお心の裡を書いておられて、その文章にも胸打たれたことがあります。歴代の陛下がどのような思いで国民に御心を寄せてくださっていたのか、そしてどう日本の行く末をみていらしゃったのか、御製や御文章にもっと触れて、少しでも歴代天皇の御心を感じていきたいと思います。
先人(うし)たちも仰ぎし富士に見守られ日本の心を学ぶはうれしき
雲の上がりて富士山の全景を仰ぐ
晴れ空に雄々しく立ちぬ富士山を三日目にして見るはうれしき
○
励みになる言葉を学んだ
chater house school高校3年 N・K
私は8年間英国の学校(小5から高3)で勉強してまいりました。母国を離れて暮らす内、楽しいこともありましたが、辛い日々も過ごしてきました。なにより自分が日本人であることを馬鹿にされたり、時には虐められたこともありました。
合宿の前まで、ずっと憂鬱な気分で過ごしてきましたが、講義の中で励みになる言葉を学びました。「学問とは、自分の心を鍛えること」という小田村寅二郎先生のお教えです。合宿に参加したことで、自分がしなければならないことを教えてもらえたことに、とても感謝しています。色々教えて下さった先生、共に学んだ仲間と出会えたことも、とてもうれしく思います。
強靱なこころをもちて目指すべき我が学問を深めていきたし
○
江崎道朗先生のご姿勢に感銘
皇學館大学 文3年 T・O
江崎道朗先生は国際政治などに関わる発言をされているが、学生時代の国文研での学びがどう活かされているのか、と疑問に思っていたが、「相手の話を正確に理解すること」等、現在でも大いに活かされる根本的な学びを和歌や古典、それに国文研の先生方の本を一字一句書き写すなどして、自らのものにしてきた先生の姿勢を知って感銘を受けた。自らが劣っている事を自覚して、「日本を良くするための叡智に勇気を持って教えを請う」べきと仰った先生のお話に、私自身学びへの活力を頂いた。
御殿場で語り学びしふることの教へを糧に学び続けむ
○
短歌の相互批評に感激した
明治大学 政経4年 K・E
短歌相互批評が大変印象に残りました。自分の詠んだ短歌に対して何を表現したかったのかと一生懸命考えてくれる。これほど嬉しいことはありませんでした。大学で色々な人と付き合うようにはなりましたが、今回の様に自分の感情を素直に吐露することは滅多にないからです。そしてこの体験を通して自分が如何に正確に言えていないか、聞きとれていないかを知ることが出来ました。本当に勿体ないなと感じましたので、これからは地道に学問を重ねていきたいと思います。学問というと知識を得ることだと考えていた私に、心が動く素晴らしいものであると気付かせてくれました。
合宿で心を込めて語らひし仲間と別れる時の悲しき
○
相互批評で生れ変った私の短歌
福岡教育大学 教育4年 M・T
短歌の創作で、私は一輪の花を見て、それが小さいながらも懸命に生きる樣を感じて、最初は「健気にも咲く」と詠んだ。しかし相互批評の結果「健気」という言葉はなくなって、代わりに「地を覆ふ苔の中にも一輪の白く小さき花の咲きたり」となった。不思議なことに私の感じた花への思い、その生命力への感動が、「地を覆ふ苔の中にも」の中に情景を詠んだだけなのに伝わってくるではないか。ここに私は歌の本質、すなわち見たものに対する感動は正確に言葉にすれば伝わるということを実感した。
江崎道朗先生のご講義を聞きて
師の言葉しかと噛みしめ行動する大人(うし)の生き方まねて生きなむ
○
自分自身を見つめた
佐賀大学 理工1年 R・E
この合宿教室に来て一番初めに心に残ったことは、心得に「休み時間以外は携帯の電源を切ること」と書いてあったので電源を切って講義に臨んだが、江崎道朗先生のお話の最中に着信音が鳴ったことです。 また憲法十七条についての輪読研修の際、共に至らぬ凡夫であるということは、自分の体験をともなって痛感することがないと忘れてしまうというお話がありました。自分はまだ誰もが凡夫であるとの同胞観を感じることができていないことに気づきました。
また青山直幸先生のご講義後の班別研修のとき、孝明天皇、明治天皇の御製や御決意の文などを読み、いかに国や国民のことを思われているかを感じました。天皇は国民の方を向いているというよりも、背を見せて神に祈っているというお話を聞き、そのお祈りに対して我々国民もそれに応えるための努力をしなければならないと思いました。日本の国柄とは、神に祈られている天皇と、そのお祈りに応えようとして天皇をお思いする国民があってのものではないかと思いました。
散策(短歌創作)から戻りし折
雨は上がり富士をば見むと振り向けど見ゆるは麓の岩肌ばかり
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日本人としての幸せを感じた
福岡教育大学 教育2年 T・N
青山直幸先生はご講義の中で、明治天皇と昭和天皇がどのような思いでこの国を守ってこられたかということに触れました。長い歴史を持つ日本の素晴らしい国柄を守ろうと国是として「五箇条の御誓文」を示された明治天皇、そして終戦のご決意をされ、また新日本建設に関する詔書の中に五箇条の御誓文を入れられた昭和天皇。偉大な先人方がこの国の国柄を守って下さったから、私たちは今、日本人として生きていることに気付き、本当に有難いな、幸せだなという気持でいっぱいになりました。
将来、教師として子どもたちの前に立つ身でありますので、この国の子どもたちに日本という国がどのような国なのか、私たちが今生きている日本のいのちのありがたさを伝えることができるような、感じさせることができるような教師になりたいと思います。
国柄を守り田マヒし先人の思ひ受けやむる学問をつまむ
うるはしき大和言葉をつむぎゆきしきしまの道を踏み続けたし
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心に刺さった言葉
佐賀大学 文化教育4年 F・A
池松伸典先生の講話の中に、「忙しい時の『忙』といふ字は、『心が亡びる』と書く様に、仕事に追はれすぎると心の生長がなくなる…」との言葉があって、心に刺さりました。最近、自分自身、心が生長していないとの自覚はあったからです。私は大学生となって五年目となり、サークルの学生の中でも長くリーダーを務めることが多くなりました。リーダーという立場になると、どうしても忙しくなり、中々自分の時間が持てず、特に最近は読書をすることもありませんでした。江崎道朗先生はご講義において、自分の心を鍛えるものを「学問」と言われました。まさしくここ最近の自分は「学問」をしていなかったと痛感しました。
学問に励めば励むほど、“自分という存在がいかに未熟・未完であるか”に気づくとの小田村寅二郎先生の言葉もお聞きして、やはり日々読書を通して先人の叡智に学んだり、短歌の修業を行うことが重要であると感じました。江崎先生が繰り返し言われていた「正確に聞く」という姿勢を心がけることが大切だと感じました。
学問を日々重ねつつ日の本を正しく導く学生とならむ
しきしまの道を踏むこそ難しき時代を拓く力を信ずる
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いろんなことを考えた
元私立高校副校長 永井敏勝
「古事記」「“しらす”と“うしはく”」「おほみたから」などと、合宿の中でいろんなことを考えました。来年新しい元号になりますが、運転免許証の年数表記を西暦にする動きもあって危惧しています。大化の改新の際の「公地公民」の公民は「おほみたから」と読みますが、究極の民主主義だと思います。“しらす”統治は古事記に出て来ます。このあたりのことを若者に伝えていきたいと思っています。
コミンテルンに関する本を書かれている江崎道朗先生に会えて、とても感動しました。コミンテルンの活動を抜きにして、戦争は語れませんが、教科書には書かれてないのではないでしょうか。いろんなことを考える機会になりました。
ふるきこと学ぶ友とのこの五年やまとしまねの光をさがす
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心の残った憲法十七条の言葉
全日本学生文化会議 清川信彦
合宿を通して心の残った言葉は聖徳太子の憲法十七条の第十条「共に是れ凡夫のみ。(略)我独り得たりと雖も衆に従ひて同じく挙へ」という言葉です。学生の指導に当たって五年目となり「自分の方が学生よりも経験がある」という傲慢な考えや「自分が学生を導かなければならない」という力みがあり、このままではいけない、自分が変わらねばと悩んでいました。しかしこの言葉に触れて、学生の話にもっと耳を傾けてよく聞こう、「共に是れ凡夫のみ」の姿勢で学生と共に課題を乗り超えていこうという気持ちになりました。
また、よく聞いて共に進んでいくと
いう憲法十七条の精神を思ったとき、今上陛下のお姿が思い返されてきました。誰よりも自分が一番よく知っているなどというご姿勢ではなく、全国をくまなくご巡幸され国民の声に耳を傾けられ、国民の様子をご覧になられ、国民のことを我がこととして受け止めてくださる陛下のお姿は、憲法十七条に描かれている日本人の心そのものだと思いました。
最終日の昼、富士山の全容見えたり
皆々の願ひ届くか雲一つかからぬ富士をつひに仰ぎぬ
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心がゆさぶられるほどの感動
明日香村議会議員 柳谷信子
富士の麓で皆様と共に過ごせたことは、とても嬉しい事でした。日常、知らなかった古代日本の歴史、文化、国柄を教えて頂き、心がゆさぶられるほどの感動でした。國武忠彦先生の講義「日本の心『古事記』」をお聞きして、天武天皇の命で『古事記』が作られた事を知りました。私の今住む所は明日香村の岡で、天武天皇の飛鳥浄御原宮の辺りあるのです。天武天皇が、当時、中国化する中で古代の日本の心、言葉、歴史を守ろうとされていた事も全く知りませんでした。明日香村では、今、村をあげて英語教育に力を入れて、古事記、日本書紀、万葉集にはほとんど力を入れていない現状です。
今回、短歌をはじめて御指導頂いて、大和言葉の豊かさと奥深さを感じる事ができました。この豊富な言葉から自分の心にしっくりくるものを選び、リズムよく歌う作業は、人間ひとりひとりの心の内の表現方法としてすばらしい文化であるのと同時に、この歌を詠み合う人々の心がひとつになる、感情を共有できる事、その言葉をもって相手を思いやり理解し合えるのだ。それが日本文化なのだと腑におちた事、先人の心を実感できたことに心から喜びを感じました。
うるはしき大和の言葉(ことのば)読みゆけば古(いにし)へ人の心しのばゆ
散策(短歌創作)の折に
雲晴れて富士の麓に朱々(あか)と輝くこぶしの実をみつけたり
編集後記
「富士の麓で“日本の心”を学ばう」との呼び掛けから始った合宿教室(東日本)が閉幕した。参加学生の感想文と短歌をお読み頂いて何を感じられるだらうか。その内容の瑞々しさは、「自国の歴史」を忘却して功利にうつつを抜かす戦後体制を告発してゐるかのやうに思はれてならない。
自民党総裁選への立候補を目指した女性閣僚は、その過程で理想とする国家像は「(首相が掲げる)伝統文化に根ざした国ではなく世界標準の国だ」と語った(8/9産経)。自国の歴史と伝統を先づは保持せんと努めることは政治の要諦であって、そのことが万国共通に見られる「世界標準」ではないか。根ざすべきものを見失った政治は誇りを喪失して漂ふばかりである。戦後70余年のわが国の歩みを直視せよと言ひたい。領土は奪はれ邦人拉致さへ外国頼みだ。かうした戦後体制(「歴史」断絶を企図した占領軍起草の現憲法体制)を平和国家などと謳歌してゐては先人に申し訳が立たないではないか。
(山内)